その人との思い出の多さは関係なく、あの独特のお経を聞いている時間の体感がものすごく短くなってきたと感じる。
よく聞く、人生は歳を取るだけ時間に慣れてきて体感時間が短くなっていくというあれなんかな。名前忘れたけど。
あと眠くなることも無くなった。すげえ失礼じゃけど学生の頃とか正直眠たくなってしまうことあったなあ。
職業的に色々な高齢者さんの生活をみてくるわけなんだけど、身内が全くいないとか、親族に頼れる人はいないとか結構ある。
だからこうしてみんなで集まってお通夜したり食事したりすることができるってのは当たり前じゃなくてすごく恵まれていることなんだと改めて思う。
相変わらずお悔やみの挨拶とかそういうのはできないんだけど、喪主様たちが用意してくださったお弁当に対してお礼を言うことはできた。
美味しかったです、とか、ありがとうございます、は必ず言うようにしてる。これは将来子どもが生まれても絶対教えたいことの1つ。
してもらって当たり前なことはない!
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昨日いただいたコメント
めっちゃ分かるぅ。私もなんかセリフくさくて言えないんですよね。
ですよね〜〜〜!!お悔やみ申し上げますって「お悔やみ」も「申し上げます」もセリフくさすぎるんよ…。それだ。
いつもコメント欄でおれが言いたいことをみんな言語化してくれる…。
あれをスマートに言えるのって一体いつになるんだろう。あと誰に対して使うんだろうな。